TanaLifeの町田ゼルビアブログ

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町田ゼルビアからキャリアスタートした選手たち【生え抜き】

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17年はゼルビアにとって苦しいシーズンでしたが、元ゼルビア戦士に関して嬉しいニュースがいくつかありました。

加藤恒平の日本代表選出に始まり、高杉亮太が所属のV・ファーレン長崎がJ1に昇格。そしてFC岐阜の庄司悦大がJ1ベガルタ仙台に移籍とゼルビアからキャリアスタートした選手が夢の舞台へ駆け上がっています。

今回はゼルビアからキャリアスタートした選手でトップレベルでプレーした選手はどれくらいいるのか?と言う事に興味が湧いたので、広義の意味でのゼルビアの生え抜き選手について可能な限り調べてみました。基本的にはオフィシャルとWikipediaを参考に書き出しましたが結構な人数の選手がいましたので気楽にご覧ください。

選手&スタッフ情報 アーカイブ | FC町田ゼルビア オフィシャルサイト

FC町田ゼルビアの選手一覧 - Wikipedia

GK

斉藤 洋平 (06-08)

ベルマーレユースから道都大学を経て関東リーグ時代に加入するが出場歴なし。09年に当時東北1部のグルージャ盛岡に移籍しました。

白子 哲平 (06-10)

関東リーグ時代に活躍したGK。JFL時代は出場歴なし。11年よりエリースFC東京に在籍しています。

渡辺 彰宏 (08-10)

マリノスユースから順大を経てゼルビアに加入。出場は1試合のみ。その後はSC相模原に移籍。14年、同クラブのアカデミーコーチになりました。

野口 貴裕 (10-12)

町田市出身のGKとして18歳で加入しますがゼルビアはJFL、J2と厳しい戦いを繰り広げており、出場機会を求め当時東北2部のラインメール青森へ移籍。その後はヴァンラーレ八戸を経てサウルコス福井に選手兼コーチとして移籍。17年、26歳の若さで引退し次のステージへ進む決意をしました。

千葉 奏汰 (14-16)

ゼルビア史上初のトップ昇格を果たしたユース出身のGK。しかし渡辺健太、福井光輝らが加入した17年にサウルコス福井へ完全移籍することを決意。着実に成長を遂げているようです。

渡辺 健太 (17-)

ガンバユース出身でトップに2種登録、U-23チームでベンチ入りする実力者。近い将来、髙原からレギュラーを奪おうと日々トレーニングに励んでいます。

福井 光輝 (17-)

17年の特別指定選手から正式にゼルビアに加入した実力者。日体大では東京Vに加入したGK長谷川洸と並行して起用されていました。髙原からレギュラーを奪えるか注目です。

DF

高杉 亮太 (06)

ゼルビアからキャリアスタートして最も活躍した選手の一人です。06年に明治大学からテスト入団でゼルビアに加入。活躍を認められて翌年にはJ2の愛媛FCへ移籍し、13年に現在所属するV・ファーレン長崎へ移籍。高木監督の信頼に応えて17年にV・ファーレンを2位へと導きJ1昇格を果たしました。18年はキャプテンを任されるなど長崎に欠かせない選手です。

ゼルビアでプレーする姿を見たかったですが、ゼルビアよくテスト合格させた!素晴らしい!

山崎 祐輔 (07-09)

国士舘大から当時関東1部のゼルビアに加入。JFL時代も試合に出場しています。10年から現在東京2部のむさしのFCに所属しています。

雑賀 友洋 (07-10)

相模原市出身で弥栄西校、法政大を経て当時関東1部のゼルビアに加入。Wikipediaでは08年の地域リーグ決勝大会、石垣島におけるV・ファーレン長崎戦のPK戦で勝利に貢献する活躍についての記述があります。12年にゼルビア・ツヴァイテに所属しますが、その後の詳細は不明です。

齋藤 貴之 (09-10)

少年期は鶴川ドラゴンズ、町田JFCに所属し、ベルマーレユース国士舘大を経てJFL時代のゼルビアに加入しました。2年間の在籍後に藤枝MYFCに移籍し12年に引退しましたが、その後はゼルビアのスタッフとして17年の始めまで勤務されてきましたのでご存知の方も多いと思います。

川邊 裕紀 (10-11)

青森山田高から国士舘大を経てJFL時代に加入しました。12年から長野パルセイロに移籍し活躍し、FC琉球を経て現在はサウルコス福井に所属しています。

久利 研人 (09-13)

ヴェルディユース出身でJFL時代に加入しました。2年目は出場機会を重ねましたがそれ以降はなかなかチャンスを得ることが出来ませんでした。14年、ヴァンラーレ八戸に移籍。数クラブを経て17年はFC刈谷に在籍。18年は東京2部のZION Football Clubへの移籍が決まっています。

パク・チェンホ [朴 千鎬] (13)

韓国の高校からゼルビアに加入した長身DFです。ゼルビアでは出場機会を得られず加入年の途中でラインメール青森へレンタル移籍し経験を積みましたが、同年に契約満了により退団しました。その後の詳細は不明ですが退団時19歳でしたのできっと韓国でプレーしたことでしょう。

平 智広 (13-15)

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2017明治安田生命J2リーグ第42節 « 東京ヴェルディ/TOKYO VERDY

ヴェルディユース出身で法政大を経て同期の真野亮二と共にゼルビアに加入しました。加入初年度より多くの試合に出場し成長を続けていましたが16年にヴェルディに帰る形で移籍してしまいました。ヴェルディでも貴重な戦力として活躍しています。

ゼルビアではおそらく単年契約だと思うので移籍金0円で放出なのではないでしょうか。その後の活躍を見ても非常にもったいない移籍でした。

望月 理人 (14-15)

U-17日本代表に選出されたことのあるアントラーズユース出身の選手ですがトップ昇格は果たせず早大を経て当時J3のゼルビアに加入しました。ゼルビアでは出場機会を得られず翌年アスルクラロ沼津にレンタル移籍し経験を積みますが契約満了となりました。

その後は海外に新天地を求め16年に当時豪2部のシドニーユナイテッドに加入し活躍したそうですが翌年脳震とうが繰り返して起きてしまい現役続行はリスクが高いこともあり突然の引退となってしまったそうです。今までお疲れ様でした。

ameblo.jp

石川 喬穂 (14-15)

活躍することはできなかったものの広島皆実高の2年時に選手権優勝を経験し、国士舘大で主将を務めるほど成長し当時J3のゼルビアに加入しました。ゼルビアでは出場機会を得られず望月と同様、翌年はアスルクラロ沼津にレンタル移籍し16年にはアスルクラロに完全移籍しますが同年に現役を引退しました。

(2018/1/21 追記)

ゼルビスタさんより引退表明後にSS伊豆(東駿河湾リーグ2部)にて復帰していると情報提供いただきました。けいえす@町田育ちの自遊人さんありがとうございます!

結構ゴール決めて活躍しているみたいですし、これからも頑張ってほしいですね!

www.ssizu.com

平石 直人 (15)

帝京高、東洋大を経て当時J3のゼルビアに加入しましたが出場機会は無いまま翌年は藤枝MYFCに移籍しました。藤枝での活躍が認められて17年のJ3王者であるブラウブリッツ秋田への移籍が決まりました。これからの成長が楽しみなDFです。

加倉井 拓弥 (15)

ゼルビアユース在籍中の15年、トップチームに帯同し天皇杯にも出場しましたがトップ昇格はなく青学に進学しました。試合経験を積み着実に成長を遂げているようです。2020年にゼルビアに帰ってくるか見守りたいです。

三鬼 海 (11-14, 16)

グランパスユースを経て17歳でゼルビアに加入。翌年アルディレス監督からも期待され18歳ながらJ2で34試合、天皇杯2試合に出場しU-20日本代表に選出する活躍を見せていました。15年以降は長崎-町田-熊本と渡りJ2で通用する活躍を見せ続けています。18年はモンテディオ山形への移籍が決まっています。まだまだ成長するであろう選手です。

福田 友也 (16-17)

国士舘大を経てJ2に復帰したゼルビアに加入しましたが16年は天皇杯の出場1試合に留まり、翌年はグルージャ盛岡にレンタル移籍しました。若いながらもJ3全試合出場を果たしゼルビアでの活躍も期待されましたが18年はグルージャに完全移籍することが決まりました。こちらも移籍金0円での放出ではないでしょうか。若い選手と複数年契約できないのはゼルビアにとって問題でしょう。

大田 隼輔 (17-)

相模原市出身で町田JFC J rユース、桐光学園を経て立命館大の主将を務め17年にゼルビアに加入しました。試合出場は有りませんが守備のユーティリティプレーヤーとして成長中です。これからに期待しましょう。

チョン・ハンチョル (18-)

韓国の名門大学を休学しゼルビアに加入した長身DFです。攻守の切り替えの速さを身に付けるために日本でのプレーを選択したそうです。どのようなプレーを見せてくれるのか、ソンギやマグの代わりとなってくれるのか楽しみです。

MF

中川 勇人 (06-09)

相模原市出身で神奈川大を経て当時関東2部のゼルビアに加入しました。JFL初加入の09年は30試合出場を果たしました。翌年に栃木ウーヴァFCに移籍し11年に地元のSC相模原へと移籍しました。その後はタイのクラブで活躍したみたいですが15年以降は情報が見つかりませんでした。

疋田 大和 (09)

日大を経てJFLに昇格したゼルビアに加入しましたが翌年、当時東北1部のグルージャ盛岡に移籍しました。Wikipediaでは13年までの情報しか有りませんが現在は南葛SCで活躍しています。

半田 武嗣 (09-10)

ジェフユース出身で国士舘大に進みJFL出場もしています。09年に当時JFLのゼルビアに加入し試合出場もしましたが11年にMIOびわこ草津(滋賀)に移籍し活躍し、13年から3シーズンはブラウブリッツ秋田でプレーしました。16年からは北信越1部のアルティスタ東御でプレーしていましたが17年に引退を発表しました。

村杉 聡史 (11)

ゼルビアの公式サイトには名前しかデータが無い!(笑)ヴェルディユース出身でU-15の代表候補に名を連ねています。その後は青学を経て11年にゼルビアに加入しましたが、JFLでの試合出場は1試合のみと1年で退団しています。その後のプレー歴は不明ですが、現在はC級コーチライセンスを保持しベルマーレの普及グループに勤めています。

ユン・ソンヨル [尹 誠悦] (11)

韓国の大学を経て当時JFLのゼルビアに加入した両利きのMFです。14試合に出場しJ2昇格に貢献しました。12〜14年は当時J2の松本山雅FCで活躍していました。15年に韓国のクラブチームへと移籍するため帰国しました。

北井 佑季 (10-12)

マリノスのジュニアユースから桐光学園を経て近畿大学の2年生時に退学をしてゼルビアに加入してくれました。ゼルビア屈指のドリブラーで好きだった方も多いと思います。J2昇格や初勝利に貢献するなど活躍しましたがゼルビアが降格してしまい13年に松本山雅FCに移籍しました。

15年にJ3カターレ富山にレンタル移籍すると翌年に完全移籍し活躍していましたが17年に契約満了と発表されました。新天地を求め同年のトライアウトに参加しSC相模原でプレーすることが決まりました。

加藤 恒平 (12)

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http://www.slask.sport.pl/sport-slask/1,128701,19783413,podbeskidzie-bielsko-biala-kohei-kato-przygotowany-do-zawodu.html

ゼルビアからキャリアをスタートさせ巣立ったのち日本代表まで駆け上がったMFです。ジェフユース出身で立命館大に在学中2度のアルゼンチン渡航を経てJ2に初昇格したゼルビアに加入しました。アルディレス監督の評価も高くDFとして多くの試合に出場しましたが、ゼルビアの降格に伴い退団し海外挑戦します。

その後はモンテネグロでチームの1部制覇とベストイレブンに選出される活躍をして、ポーランドのクラブに移籍。現在はブルガリア1部リーグのクラブに在籍しています。

17年に日本代表メンバーに選出されますが試合出場はなりませんでした。ですが若い頃より高い目標に挑み、努力を続けてここまで登り詰めました。ゼルビアにはわずか1年の在籍でしたが、その姿は将来のゼルビア戦士に夢と希望を与えているはずです。

zelvialife.hatenablog.com

18年3月末にブルガリアのベロエ・スタラ・ザゴラよりサガン鳥栖への完全移籍が発表されました。ゼルビア生え抜きからJ1クラブに在籍した3人目の選手となりました。

柳崎 祥兵 (07-13)

鹿児島実業から駒澤大を経て当時関東1部のゼルビアに加入し7年間プレーしゼルビアを支えてくれました。14年に地元となる当時JFL鹿児島ユナイテッドFCに移籍し15年のJ3昇格に貢献し16年に引退します。現在はB級コーチライセンスを保持し、鹿児島ユナイテッドのアカデミーコーチを務めています。

小川 巧 (10-13)

帝京大を経て10年にゼルビアに加入しました。11年は31試合出場しJ2昇格に貢献しましたが、アルディレス監督下ではJ2に1試合のみ出場となり同年藤枝MYFCにレンタル移籍します。その後は怪我に悩まされ13年で契約満了となり引退しました。引退後はビジネスの世界で奮闘していることがネットで紹介されています。

【セカンドキャリアインタビュー vo.3】小川巧〜セカンドキャリアの星になる〜 | 株式会社トライジン

庄司 悦大 (12-14)

エスパルスジュニアユース、清水商業を経て専修大に進み優勝に貢献、インカレ最優秀賞などを受賞しJ2初昇格となるゼルビアに加入しました。アルディレス監督の評価が高く開幕スタメンを勝ち取るもののチーム状況が悪くなる終盤戦はサブとなることが多かったです。

JFL降格後も中心選手とし経験を積んでいましたが14年に相馬監督が就任したときは自身の特徴を出せずに苦しんでいるように見えました。その様な背景もあり15年にレノファ山口に移籍し才能を開花させます。時間と空間が計算されている精度の高いパスで多くのチャンスを創出しJ3優勝やJ2でのレノファ躍進の原動力となりました。

17年はFC岐阜に移籍し大木監督の下で自身の能力を発揮させます。レノファ〜FC岐阜在籍時はデータサイトFootball LABにおいて常にJ2屈指のMFとして評価されています。

18年、遂にJ1のクラブからも認められベガルタ仙台への移籍が決まりました。ストイックとも言われる情熱・努力が実りましたね。庄司選手の挑戦は続きます。スタイルが合わなかったかもしれませんがプロへの道を与えたのはゼルビアは良い仕事をしました。

18年7月に京都サンガへのレンタル移籍が発表されました。もしかしたら野津田で再び戦うことになるのでしょうか。

真野 亮二 (13-14)

ヴェルディユース出身で08年の高円宮杯で得点ランキング2位となりました(1位山田直輝、3位宇佐美貴史他)。その後は法政大を経てJFLに降格したゼルビアに加入。JFL14試合に出場し、第2節のSC相模原戦で初ゴールを挙げましたがゼルビアでのゴールはその1点のみ。翌年ゼルビアはJ3に移りますが、真野はJFLアスルクラロ沼津へレンタル移籍。15年はJ3藤枝MYFCへと完全移籍しましたが1年で退団となりました。

16年は東京都1部のFC.OSSAに在籍していたみたいですが現在は退団した様です。その後の詳細は不明。最後の目撃情報はいっぷくラーメンさんでした。

鈴木 崇文 (10-12, 14-16)

ゼルビアのレジェンドと言って良い活躍をした美しいFKを決める左利きのMF。桐蔭学園から東京学芸大を経て第1期相馬ゼルビアの時に加入。ルーキーながら16試合出場2得点と才能の片鱗を見せていました。翌11年ポポビッチ監督の下で覚醒し33試合出場10ゴールを挙げJ2昇格に貢献します。12年ゼルビアは降格しますが崇文はハットトリックを含む7点を挙げる活躍が評価され13年はJ2のファジアーノ岡山に完全移籍しました。

しかしファジアーノで活躍の機会が得られず14年はレンタルでJ3のゼルビアに復帰し再び輝きを取り戻します。15年も完全移籍で加入し中心選手として活躍しJ2昇格に大きく貢献しました。16年は序盤の快進撃に貢献するも個人的にはフィットしてない印象で、案の定ゼルビアを去ることとなってしまいました。17年よりザスパクサツ群馬に加入しますがゼルビアで見せた輝きをまだ見せていません。

ゼルビアの補強史上でも最も素晴らしかった選手の一人でした。その活躍から今でも多くのサポーターに愛されています。

大竹 隆人 (11-16)

三菱養和SCユースから国士舘大を経てポポビッチ監督時代のゼルビアに加入。6年間ゼルビアに在籍してくれたサポーターから愛されたMF。運動量を武器にCH、SHをこなすユーティリティプレーヤーです。

怪我で苦しむ時期もありましたがチームの心臓としてゼルビアを支えてくれました。17年よりJ3藤枝MYFCに完全移籍し中心選手として活躍していますが、ゼルビスタには代表戦の報道に映り込んだ姿の方がインパクトが強いです(笑)

好きだわ〜 (*´∀`*)

垣根 拓也 (14-16)

サンガユース出身で立命館大を経て戸高弘貴とともにJ3時代のゼルビアに加入したセンターハーフです。ゼルビアでの試合出場はほとんどなく16年にグルージャ盛岡へレンタル移籍し経験を重ねます。17年はゼルビアに復帰せずJ3グルージャに完全移籍しレギュラーとしてプレーしました。18年は同じくJ3藤枝MYFCへの移籍が決まっています。

戸高 弘貴 (14-)

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フォトギャラリー:試合結果 明治安田生命J2リーグ第26節『寺田電機製作所マッチデー』vsアビスパ福岡 | FC町田ゼルビア オフィシャルサイト

トリニータ ジュニアユースから静岡学園に進み立命館大を経て垣根拓也とともに14年にゼルビアに加入。現在もゼルビアで活躍中のMFです。

小柄な体格を補うようにボールキープの技術が高くルーキーながら多くの試合に出場しましたが、シーズン終盤に左膝軟骨損傷で離脱してからは苦闘の日々だったと思います。この傷害は復帰まで半年と診断されても治らないケースも多く再手術が必要だったり、治療後も元の感覚に戻らない事が多いそうで本人も苦しんだと語っています。

負傷してから2年半。17年の5月に戸高は遂に蒼のユニフォームをまといピッチに戻ってきました。そして苦戦が続くゼルビアで輝きを取り戻しJ2残留に貢献しました。多くのゼルビスタが戸高の苦労を分かっており、惜しみない声援を送り続けています。これからもゼルビアで頑張ってほしい選手です。

土居 柊太 (18-)

浜松開誠館高の時にU-17代表候補となり、明治大学でも関東大学選抜に選出される活躍を見せていたようです。ドリブルとハードワークが持ち味という事で、攻守の切り替えの的確さを求められるゼルビアに適応できるか注目です。

FW

柏木 翔一 (04-09)

町田JFCジュニアユースから帝京高校に進み、04年、まだ東京都1部に所属していたゼルビアに加入した知る人ぞ知るドリブラーです。ただbotや酒井良のおかげで古着をこよなく愛する選手だったのは周知されているでしょう。

『酒井良』のさすらい日記柏木ファッションショー

飯塚 亮 (09-10)

FC多摩ジュニアユースから帝京高校へ進んだ八王子出身のドリブラーです。新潟経営大から09年にJFLへ昇格したゼルビアに加入しました。初年度はルーキーながら31試合出場に出場しましたが10年は出場機会が減り当時四国リーグのカマタマーレ讃岐にレンタル移籍しました。翌年はJFLに昇格したカマタマーレに完全移籍。

その後は13年にレノファ山口に移籍しJFL昇格に貢献しました。15年は東海1部のFC刈谷に移籍しますが同年に選手生活に幕を下ろしました。翌年は29歳の若さでFC刈谷の監督としてJFL昇格を目指して指揮を執りました。そして2年連続で全国地域CLにチームを導きますがJFLへの壁は高く昇格を逃し17年に退任します。18年からはFC刈谷の強化部長に就任とゼルビアからキャリアスタートさせた人物としては異色のキャリアを進んでいます。

ちなみにゼルビアの丸山竜平強化部長もゼルビアからキャリアスタートしてコーチ・スタッフを経て強化部長を務めた方なのですが試合データが残っていないためここでの記述のみとします。

山腰 泰博 (08-11)

帝京高校から神奈川大を経て関東1部時代のゼルビアに加入。同年に加入した勝又慶典とともにゴールを量産しJFL昇格に貢献。翌年もFWとしてゴールを積み重ねますが、次第に勝又や他の選手に活躍を奪われ12年にアルビレックス新潟シンガポールに移籍します。

新潟Sで23試合15ゴールの活躍を見せ13年の夏に当時JFLブラウブリッツ秋田へ移籍。14年からはtonan前橋に所属しプレーを続けています。

勝又 慶典 (08-12)

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【長野】「もう一度、FWとして」。今季は得点にこだわる勝又慶典が値千金の決勝点! | サッカーダイジェストWeb

桐蔭横浜大から関東1部時代のゼルビアに加入したスキンヘッドがトレードマークのエースストライカーです。加入時より確かな得点力を備えており、ルーキーながらリーグ得点王になりJFL昇格に貢献。翌年は怪我に泣くものの復帰して10、11年もゴールを量産しJ2昇格にも大きく貢献しました。

ターニングポイントとなったのはJ2初挑戦となった12年。相手の厳しい守備により得点を重なることは出来ずゼルビアもJFL降格となったため、13年は新たな挑戦を決意し栃木SCへと完全移籍しました。しかし出場機会を得られず14年はJ3長野パルセイロに移籍しJ2昇格を目指して奮闘しますが同年のJ2J3入替戦でカマタマーレ讃岐に敗れ昇格のチャンスを逃しました。以降もパルセイロとともにJ3でプレーしていますが、JFL時代にゼルビアで複数年契約を結べていれば良かったなと今でも思います。

岸田 和人 (13)

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第16節 レノファ山口FC vs. FC町田ゼルビア | レノファ山口FC

大分トリニータユース出身で進学した福岡大ではインカレベストFW受賞や天皇杯出場と実績を積み13年にゼルビアに加入しました。スピードと闘志を武器に第2節のSC相模原戦で初ゴールを決め、ルーキーながら15試合4ゴールを挙げます。

14年は当時JFLレノファ山口にレンタル移籍しポテンシャルを解放。得点王に輝きレノファのJ3昇格に貢献。15年はレノファに完全移籍をします。岸田の躍進は更に続き、庄司悦大、福満隆貴らとともに活躍しJ3優勝と得点王に輝きます。16年以降、J2では怪我やチーム事情の影響で波に乗れていませんが18年は霜田監督の下で再起を図ることが出来るか注目です。

岸田はレノファに移ったことで花開いた選手だと思いますが、できればゼルビアにいて欲しかったですね。

村上 聖弥 (13-14)

産業能率大にいる2012年に特別指定選手として湘南ベルマーレに所属した経験のあるFWです。試合の出場はなく特別指定は解除されましたが13年にJFL時代のゼルビアに加入します。

14年に当時JFLアスルクラロ沼津へレンタル移籍し成長した姿を見せますが、15年にMIOびわこ滋賀に完全移籍。16年からはヴァンラーレ八戸に所属しJFLの舞台で活躍しています。

天野 将平 (13-14)

FC東京ユースからJFL時代のゼルビアに加入した"点取り屋"。経験を積ませるため13年の8月より当時東北2部のラインメール青森へレンタル移籍。翌年も東北1部に昇格したラインメールにレンタル期間延長で所属しゴールを量産しましたが、20歳の若さで引退を発表しました。その後は少年時代に所属していたクリアージュFCでコーチとなりましたが、17年はZION Football Clubで練習参加しているとの情報が入っています。

青木 義孝 (16)

ゼルビアユース所属時の16年9月よりJ2に再び戻ってきたトップチームに帯同しました。しかし試合出場はなく17年に拓殖大へ進学しました。成長を見守りましょう。

鈴木 孝司 (12-)

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フォトギャラリー:試合結果 明治安田生命J2リーグ第26節『寺田電機製作所マッチデー』vsアビスパ福岡 | FC町田ゼルビア オフィシャルサイト

ゼルビアでキャリアスタートし、ゼルビアのエースにまで登りつめたストライカー。マリノスのジュニアユースから桐光学園を経て法政大に進み12年にJ2初昇格のゼルビアに加入しました。加入初年度は平本一樹のパートナーとしてスタメンとなる試合もありましたがノーゴールに終わります。

JFLに降格した13年は平本や勝又、ディミッチらがゼルビアを去ったなかでストライカーとして覚醒し多くのゴールを挙げました。14年はJ3へと舞台を移し初代得点王となります。15年は大分トリニータとのJ2・J3入れ替え戦で活躍しJ2昇格に貢献しました。

16年も勢いそのままゴールを量産するも8月にアキレス腱を損傷しシーズンを終えます。17年のJ2開幕前にアキレス腱を断裂し再び長い欠場を強いられましたが8月に1年ぶりとなる復帰を果たしエースの再起に期待がかかります。

橋村 龍ジョセフ (17-)

ゼルビアユース所属で17年2月に鈴木孝司中村祐也らの怪我を受けトップチームに登録され、3月のファジアーノ岡山戦で僅かながらも出場しクラブ史上最年少デビューを飾りました。U-17日本代表の選出経験もあります。トップでの試合出場はこの試合のみでしたが、ユースでは活躍しているようです。18年もトップ帯同が決まりトップ昇格を目指します。

 

以上がゼルビアでキャリアスタートした選手となりますが、まだまだゼルビアでの活躍が認められてJ1J2などでプレーする選手は少ないです。ただゼルビアを離れた後もキャリアスタートした時のカテゴリーと同じ舞台でプレーしていた選手は割といる印象でした。

次にまだまだレンタルバックが少ないですね。選手は出場機会を求めてそのままゼルビアを去る機会が多いです。おそらくほとんどが0円移籍だと思います。0円移籍についてはたびたび問題提起されており、最近も以下の記事など話題になっています。

www.footballista.jp

クラブは選手をもっと価値のあるものと位置づけ若い選手に対して長期間の契約ができなければ損失し続けるだけだし、チーム力の底上げもやり直しです。いわば育成が他力本願であることを意味します。悪循環を抜け出すために0円移籍は回避してもらいたいです。

そして最終的には本当の意味での生え抜き選手をもっと排出してほしいです。町田出身の選手がトップチームで活躍することがゼルビアの目標ですので。育成についてはアイスランドの育成方針をゼルビアに落とし込めるか記事にしてみたのでこちらもご覧ください。

zelvialife.hatenablog.com

色々書きましたがゼルビアの成長に伴い、選手の質が上がっているのは確かです。あなたのお気に入りの選手はいましたか?今後もゼルビアやJ1の舞台で活躍する選手が増えていくことに期待しましょう!

 

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